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「うまくいくわけがない」

そこにあえて挑むのが、
まいわい市場
なのだと思う。

「うまくいくわけがない」

そこにあえて挑むのが、
まいわい市場
なのだと思う。

2008年。リーマンショックという言葉が世間を騒がせていた時、「大洗まいわい市場」の企画は立ち上がった。
どんなに世界的な不況だと騒がれていても誰かがどうにかしてくれる、
地方ではどこか他人任せで諦めた空気が満ちていたと思う。

そんな閉塞感の中で、地域活性化と言う名の活動がブームになっていた。
地産地消や異業種連携、行政やNPOの連携事業など様々な 「活性化メニュー」が登場したが、誰かが提供してくれた物には模範解答が用意されているみたいで、かけ声だけが踊っているようにみえた。
どんなに理想的な事を言ったところで、結果に対する責任がないものは継続しない。
僕らがまいわい市場を通じて伝えたい事ってなんだろう? 結果責任のない、とりあえずの地域活性化ではないはずだ・・。

そんな時、私たちはあるセミナーに参加した。
高齢者を活用したビジネスで徳島県の寒村を復活させ、ニューズウイーク紙が選ぶ 「世界を変える社会企業家」としても 有名なその講師は、これからの地域に必要なのはリーダーではなくプロデューサーなのだと言った。
彼は未来の種をまくというコンセプトで地域を同じベクトルに向かわせていた。

その考えに大きな共感を覚え企画書をまとめたが、 講師も言った通り「地域プロデューサー」というコンセプトは中々理解されなかった。さらに、地方では何か新しい事を始めるには相当の覚悟が必要だ。
「いい噂聞かないよ」「俺には何の話もきてないって怒っている人がいるよ」
まいわい市場の設立に対し心無い中傷の声が寄せられていることを何度か聞かされたが、話の出所はいつも「噂」だった。
それが世論、みんなの声と勘違いしてしまうことは地方ではよくあることだ。

「いつまで噂に
遠慮し続けるのか?」
「噂に押しつぶされる
のではなく、挑戦してみよう」

2009年7月、地域参加型の直売所「大洗まいわい市場」オープン。

農業の経験はおろか食品小売も観光業の経験もない私たちにとって、生産者さんとの信用だけが生命線。それを築くために出来る事は、なんでも挑戦し、失敗を恐れず経験値にする。
間違ったら素直に認め、会社をあげてみんなで直す。
売り場レイアウトの変更はいつも真夜中。警備員さんに怪訝な顔をされながら時には作業が早朝まで及んだが、生産者さんから頂く「売り場よくなったわね〜」の一言でいつも疲れは癒された。
こだわりは、清潔な売り場と元気に響くあいさつ。商品の鮮度や作り手の苦労、なにより観光地としての故郷の印象を スタッフがけして傷つけたりしないように。そして、商品を通じて茨城の良さが少しでもお客様に伝わるように。
そんな想いが少しずつ浸透してきたのか、目に見えて地元のお客さまが増えてきた。

「私たちもやっと、認められる存在になってきたんだ。」スタッフ誰もが手ごたえを感じていた。
オープンから2年弱でようやく芽吹いた小さな自信。
しかし、それは東日本大震災と町を襲った大津波によって木っ端微塵に打ち砕かれた。

あまりにも変わり果てた姿のお店。
「もうダメかもしれない。」「これからどうするのか?もうあきらめるしかないのか。」
そんな時、生産者さんから寄せられたたくさんの激励。そこに進むべき答えは書かれていた。
「まいわい市場の復活を楽しみにしています!」「まいわい市場への納品は生きがいです。どうか必ず復興してください!」「風評被害に負けず、一緒にがんばりましょう!」

「みんなが
主役の直売所」

再オープンに向けての決意以上のものが宿った瞬間だった。
「単なる再オープンで終わらせてはならない。」「みんなの力を集結して今まで以上に楽しいお店を作っていこう!」まいわい市場のモットーは「みんなが主役の直売所」に変わった。

お客様からの質問にまるで生産者さんが答えるように説明できるか。
観光でいらしたお客様にまるで大切な友人のように丁寧にふるまえるか。
経験の少なさや販売力の弱さを、受け売りの知識や値引き販売でごまかすような仕事だけはしたくない。それが、作り手が大切に育てた果実と、お客様からの信頼を預かる者としての最低限のたしなみ。復興に向けた取り組みの中でいつしか、トライアル&エラーが当たり前の文化になっていた。

震災から半年以上が過ぎた11月、私たちは東京都中野サンプラザで開催された「第2回全国直売所甲子園決勝大会」の舞台にいた。被災から復興までの取り組みが評価され「審査委員特別賞」を受賞し、町からは感謝状を頂いた。その後も地域復興のシンボルとしてメディアにもたくさん取り上げて頂いた。
でも、私たちが得たものはそれよりももっと大切なことだ。

あの時、泥だらけで足の踏み場もないほどに被災したお店に、頼んでもいないのに瓦礫を片付けるために集まってくれた多くの「仲間」のために・・。感動の涙よりも楽しさや笑顔にあふれたお店、地域であり続けるために・・。

挑戦という名の種を、今日も蒔き続けよう。